art.27 せめておいしいものだけでも食べようかと思う

頭をよくする方法

運動すると気持ちがいい。誰しもが一度は経験していることである。だからするしないに関わらず誰しもが運動は心を整える手段の一つとして捉えている。

近年は脳の研究が革新的に進み、運動は心だけではなく細胞レベルで脳の機能を高めているということがわかってきた(らしい)。脳の機能が高まる、それはつまり学習効率が上がるということ。つまり頭をよくしたいなら運動しろってことなのだ。

けどそんなこと、エビデンスがなくてもこちとら感覚としてわかりきっていることである。室伏さんやイチローさんを想像して欲しい。彼らが一般人である自分より脳機能が上だとは誰も思わないだろう。

彼らのレベルに達することができるかはわからないが、やらないことには何も始まらないということで、せめておいしいものだけでも食べてから運動してみてはどうだろうか。

いや逆かな。運動してからおいしいものかな。

art.26 せめておいしいものだけでも食べようかと思う

きっと何かがおかしい

もし今の自分の状況に何か違和感があると思うなら、きっと何かがおかしいのである。それは自分の外(世間や会社や他者)がおかしいのではなく、自分がおかしいと思って間違いない。

世界は狂っているかもしれない。でもそう思うのは自分なのだし、仮に何かの使命感が芽生え世界を変えてやると思っても、変わるのはそう思う自分だけなのである。

結果、世界が変わったとしたら、それは変わった自分の影響で世界が変わっただけなのだ。つまり世界が変わるとは二義的な結果でしかないのである。

故に、何かがおかしいと思うなら、まずは自分を疑ってみることをお勧めする。

art.25 せめておいしいものだけでも食べようかと思う

哲学書が読めない理由

スマホが当たり前の時代にガラケーの話をするのは時代錯誤もいいところだが、ガラケーの取説は分厚かった。西野カナもびっくりの量だ。

すでに携帯に慣れ親しんだ世代は取説なんて読まなかったが、僕の親世代になると辞書並の取説を一生懸命に熟読し、ポストイットなどを駆使して最先端技術をアナログ的に取り入れようと必死だった。でもわからないから子供に聞く。

これは僕の親が特別機械音痴だとか古い人間だからとは一概には言えない。そもそも取説だけを読んでもわかるわけがないのだ。

もし「誰でも簡単に自転車に乗る方法」的な本があったとしよう。自転車の構造はもとよりアナトミー的な観点、重力や力学といった物理学の視点を取り入れ、イラストや漫画でわかりやすく、どんなに運動音痴な人でも明日から簡単にいとも容易く自転車に乗れる方法が書いてある本である。でも絶対に売れない。興味本位で買う人がいたとしてもそれは既に自転車に乗れる人が買うのである。

この例はいささか極端だがお伝えしたいことは、取説は実践が伴って初めて意味をなすものなのだということ。

哲学書を取説と言ってよいかは迷うところだが、まあなんにせよ、哲学書が読めない理由は実践が伴っていない、つまり著者と同じ危機意識を共有していないということなのだ。

彼ら(哲学者)の問題意識を共有することが僕らパンピーにできるのかという深淵な問題は、せめておいしいものだけでも食べながら考えていただければと思う。

art.24 せめておいしいものだけでも食べようかと思う

できっこないをやらなくちゃ

これを言える人は当然「できっこないをやらなくちゃ」を現在進行形でやっている人だけである。

故に、できっこないをやってない人が「できっこないをやらなくちゃ」と言ったところで伝わるはずもなく、寒いだけである。

ただここで人は勘違いをする。「できっこないをやらなくちゃ」を伝えたいなら、「できっこないをやらなくちゃ」をしてから「できっこないをやらなくちゃ」と言おう、と。

こう考える理由はひとつ。過去(実績や結果)がないと言ってはいけないと思う勘違いだ。確かに過去は誰かに何かを伝える際には重要だ。ただこれだといつまでたっても何も始まらない。スタートは誰だってゼロだから。

「できっこないをやらなくちゃ」を伝えたいなら、できっこないをやっている「いま、ここ」の現在進行形を言うべきであり、それしか手段はないのである。

その積み重ねが過去になり伝わる人には伝わるが、その過去は、できっこないをやっている「いま、ここ」があってはじめて築けるものなのだ。

そして一番重要なのは、伝わっているのは過去ではなく、あくまで「いま、ここ」であることを忘れてはいけないと言うことだ。

では、僕も自分にできる「できっこないをやらなくちゃ」を「いま、ここ」でやろうかと思う。

art.23 せめておいしいものだけでも食べようかと思う

クレジットカードの使い方

人は「・・・があってからやろう」と行動を先延ばしにする生き物だ。例えば「30万円貯まったら英会話を習おう」とか「ジャージを買ってからジムに通おう」といった具合に。

どこかのタレント塾講師に言われなくても「今」行動を起こすのが大切なことは誰だってわかっている。でもできないのが僕ら人間だ。だから僕はこんなことをお勧めする。

お金を先に払ってしまう。

「続けられるかな」とジムに行くのに迷っているなら、オンラインで契約してしまう。お金を払ってしまったらあとはやるだけだ。損したくないなら。

クレジットカードは余分な物欲を満たすために使うのではなく、行動しなくちゃいけない状況を自分で作り出すために使うのである。

さて、おいしいものを求めることは単なる欲なのか、それとも健康的な状況を作り出すことなのか。

難しいので考えるのはよそう。クレジットカードでおいしいものを取り寄せる。その結果はその時考えようかと思う。