art.68 自分を確認するために他者がいる

自分が何者かをみんな知りたい。

自分には何ができるのかをみんな知りたい。

だから悩む。

だから自分探しという口実で海外に行ったりする。

でも結局わからない。

それは世界には自分しかいない的な目線で探しているからだ。

心のどこかで「自分はこういう人でありたい」というものがあるが故に、フィルターがかかる。

その恣意性2000%のフィルターを簡単に突き破ってくれるのが他者である。

だから他者の意見は貴重なのだ。

他者の声に耳を傾けよう。

きっと、自分一人では探せなかった何かのヒントを言っているはずだから。

art.67 Why and How

科学はHowには答えられるが、Whyには答えれらない。

こんなことが言われるが、生きる上で必要なのがWhyだとしたら、このWhyには誰が答えてくれるのだろうか・・・?

・・・あなたしかいない。

仮に誰かがあなたにWhyの答えをくれたとする。

きっと、その答えには満足しない。

なぜなら、今のあなたが満足していないからだ。

Whyは、あなたにしか答えらない。

忘れないでほしい。

art.66 時間が通り過ぎていく

年を経るにつれ時間が早く感じるのは誰しもが実感していることだとは思う。

なぜ時間が早く感じるのかはよくわからない。

物理学でも心理学でも色々と言ってはいるが、僕の脳みそでは理解できない。

なので、理由はわからないけど、時間が早く感じる自分の感覚だけはそのまま受け入れようと思う。

受け入れた途端に気づくことがある。

「時間がない」ということに。

「人生は何かを成すには十分な時間がある」的なことをセネカあたりが言っていたと思うが、時間がないと感じるということは、僕はまだ何事も成していないということなのだろう。

なかなか厳しい現実である。

せめておいしいものだけでも食べて時間を無視してやろうと思う。

art.65 人間という楽器

クラシックを聞いて思うこと。

ハーモニーって凄いなあと。

「凄い」なんて稚拙な表現だが、単純にそう思う。

一つ一つ異なる楽器。

それがまるで一つかのような感じられるあの瞬間。

まさに調和(ハーモニー)だと。

 

少し飛躍するが、人もクラッシックに於ける楽器と言えるのかもしれない。

完璧な人間はいない。

人には得手不得手がある。

だから人は一人では生きていけない。

補完し合いながら生きる。

故に、生きる活動それ自体を「調和」と呼んでもよいのかもしれない。

もちろん、ただ生きるだけで「調和」が生まれるとは思ってはいないが。

art.64 寝落ち

トレーニングのセット間に、トレーニングベンチで寝そうになったことが何度かある。

睡眠3時間が続いても、毎日ジムに通った結果だ。

なぜにそこまでジムに通うのかはわからないが、そんな状況に追い込まれているのに不思議と嫌な感じはない。

なぜだろう?

きっと自分で決めたことだからだ。

どんなに過酷な状況でも自分で決めたことなら耐えられる。

逆に、嫌で嫌でしょうがないのは、他者に決められたことだからだ。

どっちをいいと思うかはあなた次第で、選択肢の有無もあなた次第だ。