art.83 生理的に嫌いな奴

そんな人のいいところを探してみる。

無理矢理にでも探してみる。

一つ見つかったとする。

すると不思議なことにまたもう一つ見つかったりする。

別にそいつを好きになれと言いたいわけではない。

生理的に嫌いなのだから好きになれるはずがない。

そうではなくて、自分の世界の見方を広げる練習としてお伝えした。

興味があれば是非。

art.82 嫌なことから逃げる奴

無理しなくていい

なんてことが喧伝される今日この頃。

これをそのまま鵜呑みにし何でもかんでも三日坊主で終わる奴。

実は僕のことだ。

そんなことを何度も何年も続けたからこそ言えることがある。

嫌なことから逃げるのではなく、乗り越える方がいい。

だって人間生きてれば嫌なことは必ず来る訳で、その都度、その都度、逃げてばかりいては自己嫌悪のスパイルに陥るだけ。

それに単純に疲れる。

同じ疲れるなら、乗り越える方の疲労の方が有益だと思うのなら、今の嫌なことを考えながら続けて欲しい。

いつの間にか乗り越えていることに気づくから。

art.81 仕事に意味を求めた時・・・

なぜ仕事をするのか・・・?

こんなことを考えてしまう。

それはあなただけではない。

この時代に生きる全ての人がこの問いを抱く。

なぜなら意味を問う時、それは、その意味を支える価値がないことを意味するから。

仕事の意味を求めても答えはない。

求めるべきは、価値なのだ。

art.80 面倒臭いくらいがちょうどいい

僕は人との会話でわからなかったら直ぐに質問をする。

些細なことでも必ず立ち止まる。

「え?それどういうこと?」

きっと相手は面倒な奴と思っているに違いない。

でも僕はそう思われてもいいと考えている。

なぜなら、相手の話を適当に聞き流すことで大切な人間関係を終わらせてしまった経験があるからだ。

それも一度ではなく何度も。

だから僕は話が進まないくらい質問をする(時がある)。

関係を大切にしたいと考えるが故である。

art.79 道

小中と柔道をやっていた。

自分の弱さを認めるのが嫌で、半ば逃げるようにやめてしまった柔道だけど、それでも柔道をやった経験は自分の宝だと思う。

子供だったから「柔能く剛を制す」も「人に勝つより、自分に勝ちなさい」もわからない。

ただ楽しいから毎日道場に通っていた。

そんな僕でも月日が経つことで、ほんのちょっとだけわかった気にはなれるもの。

 

道には終わりがない。

 

別に柔道のことを言っているわけではない。

普段歩く道のことだ。

道を歩く。

道中誰かとすれ違う。

方向が一緒なら共に歩くこともある。

でもいつかは「またね」と言って別れる。

また会うかもしれないし、会わないかもしれない。

そしてまた誰かと出会う。

そう、道とは終わりはないのだ。

 

きっと柔道にも終わりはないのだろう。

道と同じように。