art.122 難しい本を読み続けると・・・

賢くなるかはわからないけど、考える癖はつく。

例え、本の内容を忘れてしまったとしても、読んでいる最中に使った頭のシナプスは活きる(と思う)。

だから、読めば読むほど思考の幅は広がる。

これこそが難しい本を読む一番のメリットと言えるのではないだろうか。

さあ、今の自分では背伸びしないと読めない本を読もう。

art.121 関わり合い

絶対に他者と分かり合うことはできない。

なぜなら自分ではない他者だから。

だから人間付き合いが面倒になる。

それでも人と関わり合うことをやめない人がいる。

もしそんな人が身近にいるのなら、その人との関係は大切にしよう。

なぜなら、そんな人は須く素敵な人であるから。

art.120 無気力の人に趣味は見つけられない

趣味がないと悩む人は多い。

別に趣味なんてなくてもいいと個人的には思うが、その反面、趣味がない人はいないとも考えている。

先日

「寝ることしかやることがない・・・」

という人と出会った。

寝ることだって立派な趣味になり得ると個人的には思う。

それは、寝具にこだわったり、寝る前のストレッチがどう睡眠に繋がるのかを自分で考え体験したりと色々とできると思うからである。

無論、ここでは無気力の人は対象にしていない。

趣味が欲しいと願う裏には、人生の幸福を考えている。

こういう人が無気力であるはずがない。

無気力なくせに、趣味が欲しいと願う人はただのわがままなのである。

art.119 愚痴の深層

言いたくなくても言ってしまうのが愚痴。

なぜだろう?

ストレス発散?

それもある。

けど、愚痴の深層は、親和性である。

あの人と「私たち」は違う、である。

生贄の深層と愚痴は同じ。

共同体の絆を強める。

それは社会的には必要な行為なのかもしれないが、行き過ぎればただの依存。

一人では不安だから、一人では寂しいから。

愚痴の深層はこんなものである。

なぜそう言えるのか?

簡単である。

自律の精神を持つ人は愚痴を言わない。

art.118 クラシック音楽を聴きながら・・・

洋楽を聴きだした頃、歌詞の意味はわからなくても「かっこいい」という雰囲気だけは感じていた。

クラシックを聴きだした頃、歌詞がないのに「美しい」という思いが自分の中にあることに気づいた。

今でも不思議である。

言葉ではない音が感情を揺さぶる。

きっと音楽を奏でる人はこういった言葉を越えた何かを感じながら生きているのだろう。

言葉を大切にして生きようと思うと同時に、言葉を越えた何かも大切にしようと思う今日この頃である。