art.20 せめておいしいものだけでも食べようかと思う

何かの理由を求めるとき

「なぜ、働かなくてはいけないのか?」
「なぜ、勉強しなくてはいけないのか?」
「なぜ、生きなくてはいけないのか?」

僕らは「なぜ?」を問たがる。なぜなら理由が欲しいから。理由があれば何かを始められる。逆に何も始められないのは理由がないからだ、と。

確かに理屈としては間違ってないと思うし、理由を求めることを間違いだと言いたいわけではない。けど唯一絶対の理由なんかないということだけは忘れてはいけない。

例えば、時代が変わろうと、国が変わろうと「生きる理由」に絶対はない。だから人間はいつでも道に迷う。素晴らしきかな。

これを突き詰めれば、物事に理由なんてないと言えないだろうか。ないものを求める。無い物ねだり。これは裏を返せば、ないものを求めるとき、それは、「今」やっていることをやめる理由が欲しいだけと言えないだろうか。

「なぜ、働かなくちゃいけないのか?」理由なんてない。働くだけ。
「なぜ、勉強しなくちゃいけないのか?」理由なんてない。勉強するだけ。
「なぜ、生きなくちゃいけないのか?」理由なんてない。生きるだけ。

そんな人生だ、せめておいしいものだけでも食べようかと思う。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です