同族嫌悪と達観
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痩せマッチョ
痩せマッチョを目指すらしい。今日ジムでそんな会話を聞いた。不思議な言葉である。「痩せ」と「マッチョ」。相反する概念なのにそれが疑問もなく受け入れられている。言葉の柔軟性というか懐の深さというか、そんなものを感じる。
でも「痩せマッチョ」が指し示す実体を見れば「痩せマッチョ」という言葉と実体が必ずしもイコールでないことに気づける。
痩せマッチョは、単に痩せているだけなのだ。骨と筋肉と贅肉と皮。贅肉がないので筋肉の上に直接皮があるだけ。マッチョとは言えない。
「痩せマッチョを目指す」とは、痩せたいのか、それともマッチョになりたいのか。僕には理解できない目的なのである。
せめておいしいものだけでも食べようかと思う。
リスクとリターン
天候不順により作物が育たない。このままでは家族の食べるものがない。仕方ない。危険だが場所を移動しよう。
生きるためには安全が必要だ。だから危険はできるだけ遠ざける。でも何かしらの要因で安全が保てなくなる。危険を起こさなくてはいけない。生きるために。
このようにリスクとリターンは密接な関係にある。当然、関係によって係数は変わる。また絶対とは言えないがより危険を取った者は多くの食糧を得、逆は少なくなるだろう。
この割合は知識によって変えることはできる。安全プラスアルファを得ると言い換えてもいいし、ローリスク・ハイリターンと言ってもよい。
だけど忘れちゃいけない。ゼロリスク・ハイリターンはこの世界にはない。食糧が底をついたのに何もしなければくたばるだけだ。
何かを差し出さなければ何も得ることはできない。
せめておいしいものだけでも食べようかと思うなら、何かを差し出さなくてはいけない。
あるべきところに収まる
「柔道でオリンピックに出て金メダルを取る」こんな無邪気な夢を小学校の卒業文集に書いた。言うまでもないがオリンピックには出ていない。
人は無限の可能性を持って生まれ、それを持て余し気づいたら今に至る。この経緯を世間では「人はあるべきところに収まる」とか「宿命」とか言ったりする。
これをポジティブに捉えるかネガティヴに捉えるかは人次第だが、僕で言えば10年ほど前まではネガティヴに捉えていた。「宿命?ふざけるな!俺はサラリーマンのまま人生を終わるなんて真っ平だ。社畜に自由はない。自分の手で自分の人生を勝ち取ってやる!」やや大袈裟に誇張したが大体はこんな思想を持って過ごしていた。
だからいくつもの決断をした。
それが正しかったのか間違っていたのかは未だにわからない。きっと決断の数以上にチャンスも逃していると思う。では今でもネガティヴに捉えているかと言えばそうでもない。かと言ってポジティブに捉えているかと聞かれればそうでもない。じゃあ運命なんてそもそもない的な感じ?そうでもないのである。
今の僕は、運命は二次的なものだと理解している。
僕らは「いま」を生きている。当然だ。この「いま」に至るまでには数え切れないほどの帰路があり、その都度決断をしたわけだ。就職するしないといった大きな決断だけでなく、今日の夜は何を食べようかなといったものまで、全ては決断の連続で「いま」がある。
つまり、一次には自分の「決断」があり、その結果が「いま」なわけだ。故に「あるべきところに収まる」は二次的なものでしかない。
さて、今日の僕の重要な一次「決断」、それは何を食べるかだ。せめておいしいものだけでも食べようかと思う。
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伝わる文章とは
いきなりの結論だが、伝わる文章とは「相手のことを想って書いた文章」のことである。
誰かに何かを伝えるために人は文章を書く。読む人がいないのに文章を書くはずがない。この当たり前を忘れなければ語彙量が少なかろうが、文法を多少間違えようが伝わる。
逆にお勉強熱心な人がお勉強で得たテクニックを駆使し、一見きちんとしたもっともらしい文章を書く。でも伝わらないことは多い。それは先ほど言った当たり前を忘れているからである。
ラブレターを書くとする。テクニックを駆使しようとするだろうか。しないはずである。自分の中のほとばしるパトスを書きなぐるはずである。
そして翌朝読み返し我に返り恥ずかしい思いをする。だけど想いは止まらない。何度も何度も書き直すラブレター。そこには溢れ出るエロースが入魂された文章が現れる。それを相手に届ける。
結果はどうであれ書き手の想いは伝わるはずだ。たぶん。
せめておいしいものだけでも食べ次に繋げようじゃないか。