誰しもが、形あるものないもの問わず、良いものを持ちたいと思う。
それには当然、良いものと悪いものの区別をつけることが要求される。
故に、良いものを保持するには、ありとあらゆるものを試さなくてはいけない。
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誰しもが、形あるものないもの問わず、良いものを持ちたいと思う。
それには当然、良いものと悪いものの区別をつけることが要求される。
故に、良いものを保持するには、ありとあらゆるものを試さなくてはいけない。
僕らは美しいものが好きである。
では、美しさとは何か?
みんなに共通する美しさはあるのか?
これを自分なりに考えることには意味がある。
なぜなら、自分だけが美しいと思っても他人が醜いと思っていたら、それを「美しさ」と言ってはいけないから。
あなたが思う美しさと、誰もが思う美しさ。
誰も何も信じられない世の中で、そんなものがあったら素敵だと思わない?
さあ、考えよう。
最近よく行くカフェに常連のおばさんがいる。
そのおばさんは毎日足繁くそのカフェに通う。
その目的はただ一つ。
好きな男性バリスタがいるからだ。
なぜわかるかって?
尋常じゃないくらいのラブ視線を彼へ注入し続けているから。
そして、そのおばさんは年甲斐もなくといったら失礼だが、バリスタと話すときは、びっくりするくらいの甘え声で話す。
その声を聞いた周りの客は必ず二度見する。
それほどの甘い声・・・
そんなおばさんはカフェにいる間は、彼の姿をずーっと目で追っている。
その視線の先で、バリスタが若い女性のお客と話し込んでいるところを見るや否や、おばはんは、幼き子が見たら絶対に泣くであろうなまはげの如く恐ろしい表情を浮かべる。
おばはんの恋心を他人が兎や角いう必要はないが、その鬼神のような表情はやめたほうがいいと思う。
だって怖いから・・・
哲学書を読めば読むほど知らないことが増えていく。
それも加速度的に。
だからますます哲学書を読むペースが遅くなる。
でもその代わり、理解の深さは増している(気がする)。
本心から言えば、もっと哲学書を読みたい。
けど今の僕のレベルではハイデガーを読むのに数年かかる。
しょうがない。
それが現実。
でもその現実は変わりつつある。
だって、昨日読めなかった哲学書が今日は読めている(気がする)のだから。
相談してほしい。
と言われても、何を相談していいかわからない。
質問してほしい。
と言われても、何を質問していいのかわからない。
だから周りからは弱音をはかない人だと思われる。
違う。
自分が何をしたいのか、どうすればいいのか、わからないから他人に伝える言葉がないのだ。
でもそれでいい。
その孤独はあなただけのもの。
大切にして欲しいと思う。
なぜなら孤独を知らない人は、他者の孤独も理解できないのだから。
なんでもいい。
自分の中に規律を作る。
日記を書くでも、ストレッチをするでも、自炊をするでも。
面倒なことを面倒くさがらずにやると、自分の中に軸ができる。
なぜなら自分で決めてやることだから。
その積み重ねを自信と呼ぶのではないだろうか。
こうすればいい。
そんな指針があれば生きるのがどんなに楽なことだろう。
でも残念ながらそんな指針はない。
だから自分で探す。
けど唯一の答えはない。
それでいいと思う。
その探している過程が大切であったりするから。
優しさを否定するつもりはない。
けど、優しいだけじゃダメな時はある。
子供の教育などを思い浮かべれば異論はないだろう。
けど、臆病が故に優しくしてしまう。
この優しさは相手にとっても、自分にとってもよい方には向かない。
例え、嫌われてもいいから言わなきゃいけないことがあるなら言うべきである。
でないとあなたはどうでもいい存在にしかならない。
自身の経験を振り返ってほしい。
当たり障りのないことだけ言う人の記憶はないはずだから。
それは、人の話を聞ける人である。
例え、流暢な日本語を話たとて、一人で好き勝手に話す人の言葉には誰も耳を傾けない。
なぜなら、所詮独り言だから。
方や、つい話を聴きたくなる人の言葉は、他者との会話を通じて得た外の視点がある。
外の視点とは、具体的には共通点のこと。
だから、つい話を聴きたくなるのだ。
コミニュケーションスキルを高めたいなら、まずは黙って他者の言葉に耳を傾けよう。
そこにあなたが求めているものがきっとあるから。
先日、運良く滑走路から飛び立つ飛行機を後ろから見る機会に恵まれた。
雨の降る夜の滑走路。
水しぶきをあげながら怒号のような音とともに暗い夜空へ飛び立つその後ろ姿に、つい見とれてしまった。
美しさを一人感じていた。
その姿を思い返すだけでなぜだか幸せな気分になれる。
美しさがある日常は人生を豊かにするものだと思う。