art.87 アイドルオタク

「人間自分さえよければそれでいいんだよ。みんなそう思って生きてるよ。」

ある時、あるおっさんにこんなことを言われた。

こんなことを真顔で言うおっさんに対して、寂しい思考の持ち主だなと思いつつも、「確かにそうかも・・・」と考えてしまう自分もいた。

嫉妬心。

誰しも感じたことがあり、これからも持ち続ける感情。

これがある限り純粋に100%他者のためになんてありえるのかと考えてしまう。

そんな中、好きなアイドルのために身銭を切って応援する人がいる。

世間は冷たい目で彼を見るが、自分以外のためにそこまで頑張れる人である。

彼から学ぶべきことは多いと個人的には思う。

art.86 3ヶ月

世界にはサイクルがある。

季節や時間、それに合わせて僕らの人生にもサイクルがある。

そんなサイクルで重点を置きたいのは3ヶ月。

新生活でしんどいことも多いことだろう。

けど3ヶ月したら慣れるもの。

だから何をするにしても3ヶ月は続ける。

自分の人生を自分の足で歩いている人たちをみると皆この3ヶ月サイクルで人生が好転しているように見えるから。

共に、頑張ろう。

art.85 他人は好き勝手にあなたをみるから

例え、あんたがどんなに優しい人だとしても、他人はあなたの嫌なところを指摘する。

例え、あなたがどんなに不道徳な行動を起こしたとしても、他人はあなたの善なるところ探そうとする。

つまり、あなたがどんな存在だろうと、他人は好き勝手にあなたを評価すると言うこと。

「本当の自分とは?」

と考えるだけ無駄だとは思わないかい?

art.84 テレビ番組がくだらないと思うなら

きっとそれは次のステップへのきっかけかもしれない。

マスメディアのターゲットは大衆である。

それがつまらないと思うのなら、あなたはターゲットから外れつつあるのだ。

テレビがつまらないと文句を言うのではなく、自分の成長がその他大勢と異なってきたという喜ばしい現実が自分に訪れたことを喜ぶべきだ。

さあ喜び勇んで進めばいい。

art.83 生理的に嫌いな奴

そんな人のいいところを探してみる。

無理矢理にでも探してみる。

一つ見つかったとする。

すると不思議なことにまたもう一つ見つかったりする。

別にそいつを好きになれと言いたいわけではない。

生理的に嫌いなのだから好きになれるはずがない。

そうではなくて、自分の世界の見方を広げる練習としてお伝えした。

興味があれば是非。

art.82 嫌なことから逃げる奴

無理しなくていい

なんてことが喧伝される今日この頃。

これをそのまま鵜呑みにし何でもかんでも三日坊主で終わる奴。

実は僕のことだ。

そんなことを何度も何年も続けたからこそ言えることがある。

嫌なことから逃げるのではなく、乗り越える方がいい。

だって人間生きてれば嫌なことは必ず来る訳で、その都度、その都度、逃げてばかりいては自己嫌悪のスパイルに陥るだけ。

それに単純に疲れる。

同じ疲れるなら、乗り越える方の疲労の方が有益だと思うのなら、今の嫌なことを考えながら続けて欲しい。

いつの間にか乗り越えていることに気づくから。

art.81 仕事に意味を求めた時・・・

なぜ仕事をするのか・・・?

こんなことを考えてしまう。

それはあなただけではない。

この時代に生きる全ての人がこの問いを抱く。

なぜなら意味を問う時、それは、その意味を支える価値がないことを意味するから。

仕事の意味を求めても答えはない。

求めるべきは、価値なのだ。

art.80 面倒臭いくらいがちょうどいい

僕は人との会話でわからなかったら直ぐに質問をする。

些細なことでも必ず立ち止まる。

「え?それどういうこと?」

きっと相手は面倒な奴と思っているに違いない。

でも僕はそう思われてもいいと考えている。

なぜなら、相手の話を適当に聞き流すことで大切な人間関係を終わらせてしまった経験があるからだ。

それも一度ではなく何度も。

だから僕は話が進まないくらい質問をする(時がある)。

関係を大切にしたいと考えるが故である。

art.79 道

小中と柔道をやっていた。

自分の弱さを認めるのが嫌で、半ば逃げるようにやめてしまった柔道だけど、それでも柔道をやった経験は自分の宝だと思う。

子供だったから「柔能く剛を制す」も「人に勝つより、自分に勝ちなさい」もわからない。

ただ楽しいから毎日道場に通っていた。

そんな僕でも月日が経つことで、ほんのちょっとだけわかった気にはなれるもの。

 

道には終わりがない。

 

別に柔道のことを言っているわけではない。

普段歩く道のことだ。

道を歩く。

道中誰かとすれ違う。

方向が一緒なら共に歩くこともある。

でもいつかは「またね」と言って別れる。

また会うかもしれないし、会わないかもしれない。

そしてまた誰かと出会う。

そう、道とは終わりはないのだ。

 

きっと柔道にも終わりはないのだろう。

道と同じように。

art.78 所有という概念

「月に9万も家賃を払うなら買った方が得だよ」

桜が咲く遊歩道を歩いていたらそんな声が聞こえてきた。

お酒も入って多少気分もよかったのだろう。

家賃だけではなく、月収までも大声で話ていた。

家を買ったことも買いたいとも考えたことがない僕には、それが得なのか損なのかはわからないが、それよりも不思議に思ったことがある。

人はなぜ所有をしたいと思うのだろうか?だ。

 

例えば家を買うとする。

支払いが終われば無事持ち家だ。

家賃などは払わなくて済む。

でも税金はかかる。

仮に固定資産税を払わないとする。

その結果、差し押さえされ競売にかけられる。

自分のものなのになぜか勝手に売られるわけだ。

これを所有というのだろうか。

そして、人はなぜそんなものを持ちたいと思うのだろうか?

 

別に家を買うことを否定しているわけではない。

ただ35年もローンを組んでまでして、自分は一体「何を」所有したいと思っているのかはわかっていた方がよい思う。

桜色の夜空を見上げながらふとそんなことを考えた。