自分にしか出来ないことの見つけ方

こんにちは、山本です。

群馬県の桐生市に15歳のコーヒー焙煎士がいます。

岩野響さん。

彼はアスペルガー症候群という障害を抱えているのですが、この障害がきっかけで高校には進学せずコーヒー焙煎士となりました。

アスペルガー症候群は発達障害とは違い読み書きなどは普通にできます。

ですので、小学校の頃は周りからは障害者というよりちょっと変わった子という感じで見られていたとのことですが、中学になると、読み書きはできるのに宿題や板書が出来ない場面が多くなり次第に

「みんなが出来ることが出来ない。」

と悩むようになったそうです。

そこから両親の助言や周りの助けなどを経て、出来ないことをやろうとするのではなく、「自分にしか出来ないこと」を探す日々が続き、そして、今はコーヒー焙煎士の道を歩んでいる。

彼が焙煎するコーヒーは口コミで広がりコーヒー好きの間では結構有名です。

僕の知り合いのバリスタも「彼のコーヒーは飲む価値ありですよ」と言ってました。

コーヒー好きな人は15歳の可能性の味と香りを体験しても面白いかもしれません。


HORIZON LABO

 

さて、そんな前置きをしつつ。

今日考えたいのは、

「出来ないことをやろうとするのではなく、自分にしか出来ないことを探す」

という彼の思考の転換点に関してです。

 

自分にしか出来ないことを自分の頭と身体を使って探したいと考えている人にとって、彼の思考の転換点に関わることは有用です。

だって、実際に自分にしか出来ないことを見つけた人の思考経緯を追体験することになるのだから。

 

まず前提として、「出来っこないをやらなくちゃ」が多くの人に受け入れられる今のご時世に、彼のように思考を転換できる人はほとんどいません。

なぜなら、出来ないことを出来るようにすることが正しく、出来ないことから逃げることは間違っているという暗黙のルールが僕らの社会にはあるからです。

小学生の頃を思い出してみてください。

出来ないことが出来るようになると、先生も同級生も親も褒めてくれます。

褒められて嫌な人はいません。

だから頑張る。

別にこれが悪いわけじゃなく、間違っているわけでもありません。

一方、出来ないことが沢山あると「頑張れば出来る子だから」とか「もっとちゃんとしなさい」と暗に明に出来るようになることを強要されます。

これだって、悪いことでも、間違っていることでもありません。

でもこんな環境で育つと人はいつしか褒められることが自分の存在意義だと勘違いし、逆に、出来ないことが多い(=褒められない)と、自分がここにいちゃいけないと思ってしまうのです。

だから、無理してでも頑張る。

出来ないことは、自分の存在を否定することになるのだから。

そんな世の中です。

彼のように、「出来ないことをやろうとするのではなく、自分にしか出来ないことを探す」のは普通に生きていたら出来ないことなのです。

 

それともう一つ、彼のように思考を転換できない理由があります。

 

それは、僕らは心のどこかで「自分には出来ないことはない」と思って生きているからです。

時代に進歩なるものがあるのかは僕にはわかりませんが、ものが溢れ享楽も十二分にある世の中は、未だかつてないほどの便利さの恩恵を受けている時代とも言い換えられ、僕らはそんな時代の最先端を生きています。

例えばスマホ。

わざわざ地球の裏側まで時間とお金を使って行かなくても、リアルタイムの画像が見れます。

英語の勉強をしなくても翻訳アプリが音声で同時通訳してくれます。

便利さマックスです。

そんな時代を生きる現代人。

出来ないことがあると思う方が難しいのかもしれません。

 

豊かさとは、便利なものに囲まれることだと思い頑張ってきた世代から見たら、今は幸せ真っ只中の世界のはずです。

でも現実は違う。

確かにものは溢れ、その恩恵も余すことなく受けることが出来る。

けど。

 

「やりたいこと」が見つからないと多くの人は悩みます。

 

周りには遊べるおもちゃがたくさんあるのに、本当に遊びたいおもちゃがない。

ある種、贅沢な悩みなのかもしれません。

方や15歳の少年は自分にしか出来ないこと(=やりたいこと)を見つけた。

周りにあるおもちゃで遊べないから、本当に遊びたいおもちゃを探せた。

この違いは、どこから生まれるのでしょうか?

 

僕は、「出来ないことの有無」だと考えています。

どういうことかと言いますと。

15歳のコーヒー焙煎士は、出来ないことが多いから、出来ることを見つけられた。

これは、出来ること(=やりたいこと)が見つけられないのは、出来ないことが少ないからと言い換えられるからです。

先ほどもお伝えした通り、現代人は自分には出来ないことがないと思って生きています。

だから無理してでも出来ないことをやろうとする。

これってね、30歳を過ぎたおっさんが、100メートルを9秒台で走ろうと努力しているのと同じなんですよ。

もちろん、この努力を否定はしません。

けど、その努力の先に「100メートルを9秒台」はないですよね。

だから、もうその目標は諦めるしかないんですよ。

この「諦める」にネガティブな印象を受けた人がいるかもしれませんが、「諦める」の語源は「明らかに見る」です。

つまり諦められない人は、現実を「明らかに見る」ことが出来ない人とも言えるのです。

 

僕らはそろそろ、自分には出来ないことの方が多いという現実を「明らかに見る」頃なのかもしれません。

その残酷なまでの現実を受け入れた人から、「自分にしか出来ないこと」を見つけられるのではないでしょうか。

15歳の少年がコーヒー焙煎士という道を見つけたように。

 

季節ごとに変化するオリジナルコーヒーでも飲みながら、今日お伝えした内容をゆっくりでもよいので考えていただければと思います。

それではここまで読んでいただきありがとうございました。

山本

 

追伸:
覚えている人はほとんどいないでしょうけど、昨年末にお伝えした本の読み方に関する企画を近々にご案内します。

・本を読むとはどういうことなのか。

・本を読んで人生が変わるとはどういうことなのか。

・1を読んで10を知る読書とは。

的なことに興味がある人にはお役に立てるものになっているかと思います。

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