art.111 明るい家族計画

そんな自販機がこの時代にまだあるのかは知らないが、計画は大切である。

と同時に難しいものである。

何故なら計画はある程度の視野の広さが必要とされるから。

何も考えないでも幸せに過ごせる時代があったのかはわからないが、確かに言えるのは、今僕らが生きているこの時代は無計画では幸せになれないということである。

art.110 ルールを見つける視点を養う

この世界の全てにルールがあるとして。

ほとんどの人はルールを知らずにルールに従う。

一方で、一部の人はルールを熟知しゲームを支配する。

両者の違いは、ルールが見えているかどうかだけ。

その視点を養うのに適したものが哲学書である。

なぜなら、哲学書は世界の原理原則を捉えようとする学問だから。

哲学書を読もう。

art.109 好きと楽しさ

10代、20代の頃、必死こいてやりたいことを探していた。

やりたいこと、それは、自分が一生を通じて夢中になれることであり、

やりたいこと、それは、自分が生きがいを感じることである、と思っていた。

ただ今振り返ると僕はやりたいことを探していたのではなく、単に楽しいことだけを探していたのだ。

もちろん、やりたいことには楽しさは含まれる。

しかし、やりたいことには楽しさだけではなく、苦しさがあるのだ。

苦しさがないやりたいことは、ただの余暇だ。

余暇で一生を過ごせる人間はいない。

だから今は苦しさを求める日々が続く。

人はこれをマゾだと言うが、僕はそれが人生だと考えている。

art.108 人は差分にしか反応できない

「あの店美味しかったよね。」

こう言えるのは、他の店を知っているからである。

「これ安くていいよね。」

こう言えるのは、他のものを知っているからである。

だから、目の前にあるものが善いのか悪いのかを判断するには他を知らなくてはいけないのである。

そして、その判断は一方向より二方向、二方向より三方向、三方向よりn方向と、多ければ多いほどよい。

なぜなら、例えば、円柱は前から見たらただの長方形だが、上から見れば丸、だから壁がカーブしているのがわかるように、比べる軸は多い方が、正確に目の前のものを描写できるのだから。

故に、僕らは学ぶ必要があるのだ。

art.107 非日常がある日常

ホテルは身近な非日常。

エントランスから一歩足を踏み込んだ瞬間に空気が変わる。

少し背伸びをしつつも、どこかリラックスできるあの空間。

構造やインテリアはもちろん、ポーターやホテルマン、同じ空間を共有する宿泊客やビジネスマン、その全てが非日常を演出している。

そんな非日常でコーヒーを飲めば、一般的なコーヒーの5倍以上はする。

だけど、その価格にはコーヒー代だけではない価値が含まれている。

非日常の経験だ。

日常に霹靂したならば是非身近な非日常を取り入れてみてほしいと個人的には思う今日この頃である。