art.33 主人公じゃない人生

世の中には圧倒的主人公オーラの人がいる。漫画の世界を具現化しているかと錯覚してしまうほどの主人公感。

そんな人を目の当たりにすると「人は誰しも自分の人生の主人公」なんて言葉は脇役の戯言でしかないと思える。

人は平等か?なんて青臭いことを考えるほど暇ではない。平等だろうと不平等だろうと生きていかなくはいけないのだから。得をしたい、損をしたくない、色々な思いがあるだろう。けどどちらを掴んだにせよ生きて行かなくてはいけないのが過酷な現実なのだ。

圧倒的な主人公になるのはそろそろ諦めて脇役なりに懸命に生きる覚悟をする。

主人公じゃなくても、おいしいものは食べられる。それだけじゃ不満足?

art.32 西野カナと森高千里

『トリセツ』と『私がオバさんになっても』の歌詞を見ると、なんとなく男女間における女性の立場がここ20年で変わったことがわかる。

女性が変わりすぎたのか、男性が変わらなかったのか、またはその逆かはわからないが、変化があればそこには差異が生じ理解できないことも増えてくる。世代間ギャップというやつである。

ギャップが生じるのは致し方ない。どんなに柔軟な思考を持とうと思っても生きてきたベースが違ければ理解できないことは出てくる。その理解不能なことを嘆くのではなく理解しようとすることが重要で、それが自己変化のきっかけとなったりする。

自己変化できない人は、他者を理解しようとしていない人とも言い換えられるのである。

art.31 弱さを認める勇気

勇ましい気と書いて「勇気」。

強く逞しく物怖じせずに立ち向かうヒーローを想像してしまう。ただヒーローは神様ではない。

冴羽リョウは女性に弱いし、両さんはお金に弱い。それでも彼らはヒーローである。

強くありたいと思いすぎると、ときに自分の弱さが許せなくなることがある。だから弱さを隠そうとしたりする。でもそれは生きにくい。なぜなら嘘をつき続けることになるから。

自分の弱さを受け入れる強さ。これも勇気だと僕は思う。

art.30 最高と最低の間にある現実

ついついよい結果ばかりを想像してしまう。だから頑張れるとも言えるけど、人生そんなに甘くない。思い描いていた結果とは違う現実。「あんなに頑張ったのに、、、」である。

何事も続かない。そういう人はよい結果ばかりを気にしているのだろう。そんな人に「結果ばかりを気にするな。大切なのは過程だ」と言ったところであまり響かないだろうし、結果を気にすることは時には大切であったりもする。だからこう思うとよい。

「今やっていることの結果は、思い描く最高と最低の間に収まるだろう」と。

結果も気にしつつ、やる気も萎えない素晴らしい考えだと個人的には思うが如何かな。

art.29 世界は誰かの仕事で出来ている

責任感が強い人。一見頼り甲斐のあるナイスタフガイに思えるが、見方を変えれば自分以外を信用していないとも言える。

なぜなら他者と協力しないから。責任感の強い人は一生懸命にやる。それは間違ってない。けど自分のキャパを見誤ることは往往にしてある。他者に頼ればいいことも自分でやろうとする。これは他者を信用していないと言えないだろうか。

確かに自分でやった方が早いこともある。だからといってそれら全てを自らやっていたら自分が本来やるべきことができなくなるのは自明である。

人には役割がある。その役割を全うするのが僕ら一人一人の責任なのだ。

もちろん何でもかんでも頼むのは良くないが、自分でやらなくていいことは人に任す。そういう判断をしなくてはいけない。その判断は自らを高めることによって精度が増していく。たぶん。

ではおいしいものの判断精度を高める方法は?

おいしいものでも食べならがら考えようかと思う。