art.36 何者でもないから何者かになるために必要なもの

「何をやっているのですか?」

初対面の人の多くはこんなことを聞く。手取り早い会話の糸口だ。「サラリーマンです。」多くの人はこう答えるだろう。ただ答えながらどことなく違和感がある人もいるはずだ。

きっとこの違和感は「やっている」にあるのだと思う。サラリーマンをやっている。あなたはサラリーマンである。I am office worker.

「違う。私は***だ!」

これがあるからこその違和感だと思う。では、「***」であるためには何が必要か?

当たり前だが、自分が知らないことを知るところからはじめなくてはいけない。でないと現状で知っていることだけにとどまっていたら、いつまでもサラリーマン 。何者にもなれないのである。

art.35 安定と不満の間で

人は変化を極度に恐れる生き物だ。安定して食べられる環境があるのに、わざわざ危険を犯す必要はない。危険を犯すときは安定が崩れたとき。それはリスクを犯してリターンを求めるときとも言え、これが進化の歴史。故に、安定しているときに無理する必要はない。

でも僕らはなぜか安定が続くと不満も膨らむ。その安定と不満の間で人は愚痴を言う。きっと僕らの本能は安定を求めながらも、変化も求めるというわがままな構造になっているのだろう。

どちらのわがままに比重を置くかは好きに決めていただければと思う。僕は、せめておいしいものだけでも食べるというわがままをし続けるつもりだ。

art.34 器用な男

器用な人間ほど傲慢になりやすい。なぜなら、他人なんかいなくても今の自分があると思っているから。

大きな間違いである。

例えば、業種もやることも全く違う会社に転職したことを想像してもらいたい。で、その会社は教育という文化はなく、勝手にやって的な社風だったとする。質問しても「なんでそんなこともわからないの?」的なあからさまに嫌な顔をされる。どうだろうか?こんな会社でも自分の器用さを発揮し人並み以上の仕事ができるまで最短で行けると思うだろうか。

想像でもいい。この会社に転職したとしたら。今までやってきた仕事、今やっている仕事、なんだっていい、自分がどれほど周りから助けられてきたかがわかるはずだ。

自律のためには一人で頑張る必要はある。けど、周りが助けてくれているから頑張れるということを忘れてはいけない。

art.33 主人公じゃない人生

世の中には圧倒的主人公オーラの人がいる。漫画の世界を具現化しているかと錯覚してしまうほどの主人公感。

そんな人を目の当たりにすると「人は誰しも自分の人生の主人公」なんて言葉は脇役の戯言でしかないと思える。

人は平等か?なんて青臭いことを考えるほど暇ではない。平等だろうと不平等だろうと生きていかなくはいけないのだから。得をしたい、損をしたくない、色々な思いがあるだろう。けどどちらを掴んだにせよ生きて行かなくてはいけないのが過酷な現実なのだ。

圧倒的な主人公になるのはそろそろ諦めて脇役なりに懸命に生きる覚悟をする。

主人公じゃなくても、おいしいものは食べられる。それだけじゃ不満足?

art.32 西野カナと森高千里

『トリセツ』と『私がオバさんになっても』の歌詞を見ると、なんとなく男女間における女性の立場がここ20年で変わったことがわかる。

女性が変わりすぎたのか、男性が変わらなかったのか、またはその逆かはわからないが、変化があればそこには差異が生じ理解できないことも増えてくる。世代間ギャップというやつである。

ギャップが生じるのは致し方ない。どんなに柔軟な思考を持とうと思っても生きてきたベースが違ければ理解できないことは出てくる。その理解不能なことを嘆くのではなく理解しようとすることが重要で、それが自己変化のきっかけとなったりする。

自己変化できない人は、他者を理解しようとしていない人とも言い換えられるのである。