art.2 せめておいしいものだけでも食べようかと思う

目の前で見たことは間違いない?

旅行に行った夫婦あるいは恋人が数年後に思い出話をする。同じ場所で同じ時間を過ごし同じものを見たはずなのに何故か意見が食い違う。どちらも譲らない。「あなたが(お前が)間違っている!」

僕らは自分が実際に見たものは間違いないと思っている。間違いないというのは「事実は変わらない。それを実際に見たわたしが言うことなのだから間違いない」と言う意味である。故の衝突である。

確かに事実は変わらない。

ただ変わるものがある。

それは僕らの「記憶」である。

短期記憶、長期記憶という言葉を聞いたことある人は多いかと思うが、これは脳の部位で言えば、それぞれ海馬と大脳皮質に対応している。そして僕らは大脳皮質(長期記憶)にある記憶は変わらないと思っている。

ただそれは仕方がない。ほんの数十年前まではそれが正しかったから。でも最近明らかになったことがある。大脳皮質に保存されたもの(正確にはニューロンとシナプスの回路)は、思い出す度に不安定化され、再度、固定化されるというのだ。

つまり記憶は思い出す度に揺らぎ変わっていると言えるのである。

実際に見た目の前の光景(事実)は変わらない、だが、あなたの記憶は変わっているのだ。

果たして僕らはありのままの事実(世界)を捉えることは可能なのだろうか。

せめておいしいものだけでも食べようかと思う。

art.1 せめておいしいものだけでも食べようかと思う

1万時間

プロフェッショナルと言われる人達は先天的な才能に恵まれていると思われているが、遺伝子的にはそういった事実はないらしい。

そこでジャンルを問わずプロフェッショナルと呼ばれる人達を調べた結果、ある共通することがわかった。

それは、プロフェッショナルは幼い頃、1万時間という時間をそれに費やしたとのこと。

1日3時間練習したとして1年間で約1000時間。1万時間を費やすには10年が必要ということである。

生まれ持った才能などないのかもしれないけれど、1万時間を一つのことに集中できること自体が才能だと言えないだろうか。

だとしたらこの才能は僕らでも持てるのではないだろうか。「幼い頃」という条件は満たせないが「いま」から10年間やり続ければいいだけなのだから。