もしあなたが今の自分の職業を胸張って言えるのなら、それはとても幸せなことだと思います。
何をしててもいいです。
「私の職業は、○○です。」
と言えるのなら。
僕は、これが言えませんでした。
いや、聞かれたら「僕はサラリーマンです。」と答えてはいたのです。
答えてはいたのですが、心の中ではそんな台詞を言う自分が嫌で嫌で仕方なかったのです。
誰に強制されたでもなく、仮に何となく周りに流されて就職したという場合でも、自分で選んだ道。
だからこそ、嫌だった。
これは、サラリーマンという職業を否定しているのではなく、今自分がやっていることに自分自身が納得できていないのです。
だからこそ、自信を持って「私は、○○をしています。」と言える人が羨ましかった。
自分より遥かに先を歩んでいるように感じていたのです。
でも今ではこんな自己嫌悪?劣等感?承認欲求?なんと言ったらよいのかは迷うところですが、これらの感情はありません。
いつの間にか雲散霧消していました。
自分でも不思議に思うこの気持ちの変化、なぜ起きたのか僕なりに考えてみたのです。
ところが、考えた結果は、すごく当たり前のことでした。
ただ、当たり前だからこそやる人やり続ける人がほとんどいないことだとも気づきました。
それは何かと言うと・・・
「学び」です。
もしあなたが自信を持って自分の職業を言いたいと思うのであればで、やるべきは「学び」です。
なぜそう断言できるのか?
例えで示しましょう。
今、あなたの目の前に1トンの鉄球があります。
これを持ち上げてください、と言われたらどうします?
一人ではもちろん無理ゲー、だからと言って何人集めればいいのかわかりませんし、集めたところで人力のみで持ち上がるかはわかりません。
でも僕らは「梃子の原理」を知っています。
だから1トンなんて余裕です。
もし「梃子の原理」を知らなかったら・・・
こんな例を使って僕はあなたに何をお伝えしたいのかと言いますと・・・
「目的」達成のためには、「知識」が必要
ということです。
1トンの鉄球を持ち上げるという「目的」を達成するには、梃子の原理という「知識」を必要とします。
職業を自信を持って言いたい、これは「自分の人生を豊かに生きる」と同義であり、この「人生を豊かに生きる」という「目的」を達成するには、それに必要な「知識」が必要不可欠なのです。
逆に、もし今の自分の状況に不満や不安があるのであれば、それは、知識がないから、と言い換えられる。
もちろん、知識は持っているだけでは意味はありません。ただ知識がないと到達できない目的があることは、先程の鉄球の例をあげるでもなく確かな事実なのです。
ですよね?
だから、僕はそんな学びの場として読書会を主催してます。
目的到達までの道程は星の数ほどありますので、どの道を選択するかはあなたの決断次第ですが、人生を豊かに生きるという目的地が同じなのであれば、僕の読書会はきっと有用なものとなるはずです。
もし東京には来られないという方でも、これから講座的な内容をメールで送ることも考えていますので、ご興味があればご登録下さい。
もちろん無料ですし、不要ならいつでも解除できます。
ご興味がありましたらどうぞ。
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それでは、ここまでお読みいただきありがとうございました。
山本