ココイチのカレーの辛さを適当に決めてはいけません。
Podcast: Play in new window | Download
Subscribe: Apple Podcasts | Android | RSS
Podcast
ココイチのカレーの辛さを適当に決めてはいけません。
Podcast: Play in new window | Download
Subscribe: Apple Podcasts | Android | RSS
つい先日、イヤホンを無くした。
結構探したが見つからなかった。
しょうがないと諦め新品を買う。
いつも行くカフェのバリスタに「最近、イヤホン無くしてさあ」と言ったら「これ山本さんのじゃないですか?」とイヤホンを渡される。
イヤホンの2本持ちである。
でもそれをきっかけにそのカフェの店員となぜだか料理のお裾分けをする仲になった。
探していたのはイヤホンではなく、人との繋がりだったのかもしれない。
無事どちらも見つけた僕はラッキボーイと言えるのだろう。
トレーニング中にスマホを見るのはやめましょう。
Podcast: Play in new window | Download
Subscribe: Apple Podcasts | Android | RSS
最近はカフェで本を読むことが多くなった。
目の前にはカップルがいる。インスタ映えする写真を笑顔で撮っている。素敵な日常だ。
ただ数分も経たないうちに二人とも笑顔は消え、スマホ画面を凝視する。
会話とは言えない相槌が数分毎に1、2回あるが、お互い小さな世界に釘ずけである。
目の前にいる一人と会話しているのか、画面の中の無限の人と会話しているのか。
側から見たら迷うところである。大きなお世話だろうけど。
ジェームズ・ボンドにはなれないけど追いかける。
Podcast: Play in new window | Download
Subscribe: Apple Podcasts | Android | RSS
明治神宮に行く。杜の中にいると何だか心地よい。なぜだろう?
思考は現実化する。なんて成功哲学では言われているが、都市を見るとその通りだと思う。全て人間が想像したものが建ち並んでいるから。
そう考えると人間は自然とは縁遠いところに住んでいると言うことになる。
その意味で言えば、明治神宮の杜も純粋な自然ではない。なぜならあの杜は人間が作ったものだから。
それでも癒される。
そろそろ僕らは、ストレスを生むものばかりではなく、癒しを生むものを作らなければいけないのではないだろうか。それは個人でも始められる。
あなたは何を創る?
今はもうメールを使わない仕事は考えられないだろう。確かにゼロではない。例えば電話だけで仕事を受けている知人がいる。ただそんな人はごく僅かだ。
だから僕らの生活に浸透したメールについて考えてみたい。
最初は便利なツールだと誰しもが思ったはずだ。でもメリットだけのものなんてこの世界には存在しない。必ず便利さの代償があるはずである。
さてその代償とは何だろうか・・・?
個別具体例をあげればキリがないし、そんなもの一つずつ考えたって嫌になって終わるだけ。だから少し抽象的に考えてみた。
時間の拘束。
送った相手の時間を暗黙の内に拘束するものだと個人的には思う。プライベートのメールならいざ知らず、仕事のメールとなると未読の方が悪者だ。何とも自分勝手な道具を現代人は手に入れてしまったのだろうかと本気で思う。
と言いつつ、メルマガを発刊している手前あまり強くも言えないし、こんなことを書いてる時点で矛盾も甚だしいと自分でも思う。だからいつでも解約してくれとメルマガ読者には伝えている。
そんな言い訳をしたから敢えて言う。
メールなんて見なくていい。急ぎの用なら電話なり会いに来るなりすればいい。と思ったり思わなかったりである。
風呂敷を広げる決断を誰に委ねてもいけない。
Podcast: Play in new window | Download
Subscribe: Apple Podcasts | Android | RSS
幸か不幸か僕らには感情がある。故に、好き嫌いがあるのはしょうがない。生理的に苦手のタイプがいることもわかる。
そんな人と一緒にいなくてはいけない環境にいるとしたら、さぞかしストレスだろう。
他人事のように聞こえたかもしれないがそんなことはない。サラリーマン時代はそんな日々だった。
ただあまりにもそんな日々が続くからあるとき思考を変えてみた。「この人は何かのヒントを僕にくれているのかもしれない」と。
すると不思議なのだが、その人の発言や行動が別視点で見れるようになった。言い方を変えれば、学びを得られるようになったのだ。
何だかメルヘンチックは話に聞こえるかもしれないが、人間というものは総じて「世界を自分の見たいように見る生き物」だということを忘れてはいけない。