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伝わる文章とは
いきなりの結論だが、伝わる文章とは「相手のことを想って書いた文章」のことである。
誰かに何かを伝えるために人は文章を書く。読む人がいないのに文章を書くはずがない。この当たり前を忘れなければ語彙量が少なかろうが、文法を多少間違えようが伝わる。
逆にお勉強熱心な人がお勉強で得たテクニックを駆使し、一見きちんとしたもっともらしい文章を書く。でも伝わらないことは多い。それは先ほど言った当たり前を忘れているからである。
ラブレターを書くとする。テクニックを駆使しようとするだろうか。しないはずである。自分の中のほとばしるパトスを書きなぐるはずである。
そして翌朝読み返し我に返り恥ずかしい思いをする。だけど想いは止まらない。何度も何度も書き直すラブレター。そこには溢れ出るエロースが入魂された文章が現れる。それを相手に届ける。
結果はどうであれ書き手の想いは伝わるはずだ。たぶん。
せめておいしいものだけでも食べ次に繋げようじゃないか。
1分間で4回深呼吸をして下さい
もし苦しかったら呼吸が浅いということである。現代人は総じて呼吸が浅い。それは肺活量云々、年齢云々を問わず浅いはずである。なぜそう言えるのかと問われたならばこう答える。
「姿勢が悪いから」
ここで言う「姿勢」とは、モデル立ちとかを指すのではなく、呼吸がし易い身体という意味で、もっとわかりやすく言えば空気の流れを妨げないということである。ホースを想像して欲しい。真っ直ぐなホースと折れ曲がったホース、水の流れがスムーズなのはどちらか。そういうこと。
呼吸は酸素を体内に取り入れる。なぜ酸素が必要なのか。ATPだのクエン酸回路だのミトコンドリアといった生物の知識はとうの昔に忘れてしまったが、ただ人間が活動するために必要なエネルギーは酸素がなければ作れないということだけは覚えている。
エネルギーのエネルギー。変な日本語だが、それが酸素である。その酸素が少ない現代人。元気なく見えるのは当然なのかもしれない。
ダイエットや食事に気を使うのは大いに結構だが、それと同時に呼吸に意識を向けてみる。その後に、せめておいしいものだけでも食べてみてはいかがだろうか。
ライフプランニングと小林麻央さんの「いま、ここ」
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自分らしさはどこにある?
実家に居たときだからもう10年程前の話になる。ある深夜のバラエティ番組を見ていたら、明石家さんまさんがこんなことを言っていた。
「去年は見てなかった人もいるんやで」
これがどんな場面で言われた台詞かを説明すると、その番組は年に一度同じ時期に放送されるスペシャル番組で、そこで毎年恒例のやりとりによるネタを披露したところ、若手から「それ去年も見た!」とのガヤに対しての返しである。
続き様に(確か)今田耕司さんもさんまさんのネタに乗っかりひと笑い。当然の如く「それも(去年)見た!」とのツッコミ。それに対して
「去年見た人もまた新しい気持ちで見てくれるんやで」
流石の返しである。僕はこのとき思ったことがある。
「同じことでもいいから続けることは大切」
「新しさではなく持続が大切」と言い換えてもいい。僕はそれまで何かを始めようとする際、異常なほど「自分にしかできないこと」というオリジナリティを意識していた。そのせいかアイデアは星の数ほど浮かぶのに中々行動に移せない。なぜならすでに誰かが同じようなことをやっていたから。
でも2人のお笑い芸人を見て思った。「続けることでも新しいこと(笑い)は生まれるんだ」と。その意味では「新しさは持続の先に生まれる」と言ってもよいかと思う今日この頃。
さて、せめておいしいものだけでも食べて何事かを続けようかと思う。
それ本当に引き寄せの法則?
「成功したかったら成功者の近くに行きなさい」
成功哲学や自己啓発ではたまにこんなことが言われる。要は「類は友を呼ぶ」や「引き寄せの法則」や「宇宙のパワー」や「シンクロニシティ」や「ハイヤーセルフ」などといった諸々を都合よく解釈した言葉である。
これが悪いと言いたわけではない。きっと徳の高い人なら腑に落ちる現象なのだろう。ただ残念ながら僕は徳が低い。何か邪な思想を感じてしまう。
いや正直に言おう。これらの現象を否定しているのではない。そうではなく、これらを言う人や盲信する人の言動に違和感を感じるのだ。「世界は愛でできている」などと歌うくせに、実生活は情慾でお腹いっぱい。そんな人に「あなたが歌うその愛は本物の愛ですか?」と聞きたくなる、そんな感じ。
きっと成功哲学や自己啓発で言われていることを腑に落とすには、カント先生やハイデガー先生の著作を腑に落とすより難しいはずである。言葉を超えた世界のことだから。
もちろんできることなら僕だって腑に落としたい。ただカント先生の著作一冊も理解はおろか読了すらできない現状を考えれば、先に寿命が尽きるのだろう。
せめておいしいものだけでも食べようかと思う。
運動するだけじゃ痩せない理由
何をするにも基礎は大切である。その具体的なものは運動だろう。あなたも何かしらの運動をしたことがあるかとは思うが、最初は基礎練をさせられたと思う。その単調さに嫌気がさしてやめてしまう人、試練をくぐり抜けてスポーツの醍醐味を味わう人、様々かとは思うが基礎が大切だということに異論はないだろう。
基礎を習得するには反復が必要だ。ブルース・リーは「Don’t think,feel!」と言ったが反復の目指すものは反射なのだからリーが言いたいこともわかる。だからプロだろうと素人だろうと反復練習は欠かさない。
ただ最近のスポーツ科学では新しい知見が取り入れられている。
もちろん基礎は大切なので「基礎練なんて意味ない」的なことが言われているわけではない。新しい知見の対象は「反復」の方で、反復によって生じる「慣れ」を必ずしもよしとしないのである。
その理由はこうである。「慣れ」は脳への刺激が次第に薄くなる。これは感覚が薄れていくとことを意味し、鈍感なアスリートが競技でよい結果を残せますか?ということ。単純明快。
イチローさんや室伏さんの練習風景をテレビで見た人もいると思うが、彼らの練習に昭和のスポ根的要素が1mmも感じられないのはこう言った背景があるから。
これは僕レベルでも実感できる。毎日足繁くジムに通うが同じメニューの繰り返しでは身体組織の変化は薄くなる。故に、ビルダーがトレーニングメニューを定期的に変えるのは概ね正しいのである(僕はビルダーではないが)。
ただ運動を定期的にしている人ならわかってもらえると思うが、メニューを考えるのは結構大変。だからトレーナーという職業が成り立つ。逆を言えば考えられない人はお金をかけて向上するか、慣れたまま停滞するかのどちらかである。
運動をしても痩せない理由の一つには、反復による慣れがある。
せめておいしいものだけでも食べようじゃないか。