art.67 Why and How

科学はHowには答えられるが、Whyには答えれらない。

こんなことが言われるが、生きる上で必要なのがWhyだとしたら、このWhyには誰が答えてくれるのだろうか・・・?

・・・あなたしかいない。

仮に誰かがあなたにWhyの答えをくれたとする。

きっと、その答えには満足しない。

なぜなら、今のあなたが満足していないからだ。

Whyは、あなたにしか答えらない。

忘れないでほしい。

art.66 時間が通り過ぎていく

年を経るにつれ時間が早く感じるのは誰しもが実感していることだとは思う。

なぜ時間が早く感じるのかはよくわからない。

物理学でも心理学でも色々と言ってはいるが、僕の脳みそでは理解できない。

なので、理由はわからないけど、時間が早く感じる自分の感覚だけはそのまま受け入れようと思う。

受け入れた途端に気づくことがある。

「時間がない」ということに。

「人生は何かを成すには十分な時間がある」的なことをセネカあたりが言っていたと思うが、時間がないと感じるということは、僕はまだ何事も成していないということなのだろう。

なかなか厳しい現実である。

せめておいしいものだけでも食べて時間を無視してやろうと思う。

art.65 人間という楽器

クラシックを聞いて思うこと。

ハーモニーって凄いなあと。

「凄い」なんて稚拙な表現だが、単純にそう思う。

一つ一つ異なる楽器。

それがまるで一つかのような感じられるあの瞬間。

まさに調和(ハーモニー)だと。

 

少し飛躍するが、人もクラッシックに於ける楽器と言えるのかもしれない。

完璧な人間はいない。

人には得手不得手がある。

だから人は一人では生きていけない。

補完し合いながら生きる。

故に、生きる活動それ自体を「調和」と呼んでもよいのかもしれない。

もちろん、ただ生きるだけで「調和」が生まれるとは思ってはいないが。

art.64 寝落ち

トレーニングのセット間に、トレーニングベンチで寝そうになったことが何度かある。

睡眠3時間が続いても、毎日ジムに通った結果だ。

なぜにそこまでジムに通うのかはわからないが、そんな状況に追い込まれているのに不思議と嫌な感じはない。

なぜだろう?

きっと自分で決めたことだからだ。

どんなに過酷な状況でも自分で決めたことなら耐えられる。

逆に、嫌で嫌でしょうがないのは、他者に決められたことだからだ。

どっちをいいと思うかはあなた次第で、選択肢の有無もあなた次第だ。

art.63 社畜

毎日家に着くのが24時を越える。

大変だと思う。

大変だろうけど、彼らは彼らの今を懸命に生きている。

彼らの人生だ。

他人が兎や角言うべきではない。

でも時間は有限だからそこだけは常に意識しておかなくてはいけないと個人的には思う。

夜のオフィス街を歩いて、ふとこんなことを思った。

art.62 無駄な残業

人間集中できる時間は限られている。

8時間労働で、1時間でも集中できていたらすごい方だ。

なので、定時に上がらず残業している人のほとんどは、ルーティンワークに追われているだけだと理解していい。

もちろん、その人が悪いわけではない。

一人でこなせるルーティンワークのキャパを超えているから残業せざるを得ないのだ。

 

この状況にどっぷりハマると悪いことが2つある。

一つは、あなたの唯一無二の貴重な時間が盗まれること。

もう一つは、集中できなくなること。

人はルーティンワークに追われれば追われるほど、クリエイティブな集中ができなくなる。

これはつまり、すこしむずかしい本を読めなくなるということに繋がる。

由々しき事態だと認識しよう。

art.61 優しい嘘をつくくらいなら・・・

人の話を親身に聞き、アドバイスをくれる人。

いい奴だ。

でももしかしたら、そんな奴は優しさ故に嘘を付いているかも知れない。

言葉は嘘を孕む。

椎名林檎はこう歌った。

確かにそんな気もする。

「優しい嘘」なんて歌のタイトルにありそうだが、優しかろうが厳しかろうが嘘は嘘である。

本当に善い奴は、何も言わずにあなたの側にいる奴かも知れない。

art.60 自分の脳を裏切ろう

脳科学の本なんて読んだってちっとも実感はわかない。

本に書かれている脳に関する知識が、自分の脳に当てはまるのかなんてわからない。

でもそれは僕の脳がわからないだけで、脳は(多分)脳科学の本に書かれているような働きをするのだと思う。

だから、自分の脳すらわからない脳を信用するのではなく、本に書かれている知識を時には信用してもいいんじゃないかと思う。

例えば、「混乱した脳はNoと言う」。

混乱させなきゃいい。

人生の道に混乱して立ち尽くしているのなら、道を一本にすれば脳は迷わない。

さあ「もしダメだったらどうしよう」なんて道は捨てて、どっかの誰か頭のいい人が研究した脳科学を信用してみようじゃないか。

道は一本でいい。

歩めるのは一本の道だけなのだから。

art.59 他者を知り、自己を更新する

筋トレをする人たちは、挨拶がわりに「何キロ上げれますか?」と聞く。

別に勝ち負けでこんな質問しているわけではない(そういう人もいるとは思うが)。

これは自分の基準との「差異」を知るための質問なのだ。

自分はベンチを60キロ。

あの人は80キロ。

この20キロの差異を知るための質問(トレーニーの体重が同じくらいだとして)。

この差異を知らなければ、「自分の限界は60キロだ」と考えてしまい努力をしなくなる。

今の自分を乗り越えるには、他者を知ることは重要なのだ。

さて、今日もおいしいものを食べて、筋トレを頑張ろうかと思う。

art.58 その人を決めるもの

一般論だが、50歳を過ぎた人が電車の中で少年漫画雑誌を読んでいると違和感を抱かれる。

別に、この50歳が悪いわけでも、漫画がダメだとかいう話ではない。

でもこの人は「いい歳して公衆の面前で漫画を読む人」と思われる。

 

人は思うように生きられないから愚痴を言う。

でもそんな人をよく観察してみると、自分が想い描く未来像とはかけ離れた決断、行動をしていることがわかる。

例えば、金持ちになりたいなら、それだけ世界に貢献しなくてはいけない。

それには学びは必要だ。

漫画が学びにならないなんて言いたいわけではない。

漫画から学べることは多くある。実際に僕も漫画から多くのことを学んでいる。

けど、先ほどの50歳はきっと学んでいない。

それは漫画を読んでいる彼の姿全てがそれを物語っているからだ。

人間は内面が大切かもしれないが、外面は内面を表現しているものだということを忘れてはいけない。