art.57 カレーに現れる人となり

カレー作りにハマる人は多い。

そんな人のレシピを聞くと多種多様で面白い。

カテゴリーこそカレーと言えるが、使っている材料だけを見たら、同じ料理とは思えない。

その人、その家族の味が出ている。

カレーの面白いところは、みんなそれぞれに完成形を目指しつつも、まるで完成してほしくないかのごとく、毎回いろんなアレンジを加えるところである。

だから常に発展途上を歩いている。

カレー作りにハマる人の共通点、それは道を歩んでいる人と言えるのかもしれない。

art.56 人の時間

自分の時間を大切にしたいと思うなら、他者の時間も同じくらい大切にした方がいい。

何かをお願いしなくてはいけないとき。

相手の時間をできるだけ使わせないよう、自分にできることは全てしてからお願いする。

こんな当たり前が出来てはじめて自分の時間を大切にするべきなのだ。

他者にもあなたと同じ大切な時間があることを忘れてはいけない。

art.55 上を目指すなら下を掘れ

自分を高めたいと思う。

だからみんなそれぞれに努力する。

その姿は美しいと思う。

けど、上だけではなく、下を掘る姿も美しいと個人的には思う。

グローバル化なんて言われて久しく、世界に目を向けるのも大切だが、自分の足元を徹底的に掘る目線を持つことも重要ではないだろうか。

世界は広い、広すぎる。

自分の足元を掘るほうが個人で活動する場合にはいい。

そして、掘り続けたらいつしか世界があなたの足元に注目する日が来るかもしれない。

それも「グローバル化」と呼ぼうではないか。

art.54 人手不足の足跡がそこまで・・・

ファミレスの24時間営業が見直されるという。人手不足とのこと。

深夜のサービス業。何か特別な事情でもない限り若い人は働かない。

それでも企業としては収益をあげなくてはいけないからと誰でもかれでも雇う。だから「サービスってなんですか?それって美味しいんですか?」的な人が働く。

ゆえのサービス低下。だから客は遠ざかる。その結果の収益悪化。お見事すぎて飾りたいくらいのスパイラルだ。

さて、きっとあなたは「私には関係ない」と思っただろう。でも本当に関係ないのだろうか・・・?

日本の労働人口は確実に減っていく。これには誰も逆らえない。

今はまだサービス業だけかもしれない。でも当たり前だが、一業種だけが人材不足になるわけではない。遅かれ早かれあなたの業界でもそれは来るし、もう来ているのかもしれない。

これは、あなたにとってチャンスだろうか?それともピンチだろうか?

身の振り方を考えておいてもよいのでは?

art.53 こんなに人を好きになっていいんですか?

好きなら好きでいい。

人を信じたいなら信じればいい。

でもそれは全て自己責任ですることだ。

あなたが好きになった相手が、必ずしもあなたを好きになるわけじゃない。

そんな当たり前のことを忘れてはいけない。

故に、「こんなに人を好きになっていいんですか?」なんて聞いている時点で、自己責任がないと思われても仕方がないのだ。

許可を求めている時点で責任を負うことから逃げているのだから。

好きなら好き、信じるなら信じる。

言葉に出した途端、その気持ちに責任が負えなくなるくらいなら、言葉にしないほうがいい。

art.52 探し物はなんですか?

つい先日、イヤホンを無くした。

結構探したが見つからなかった。

しょうがないと諦め新品を買う。

いつも行くカフェのバリスタに「最近、イヤホン無くしてさあ」と言ったら「これ山本さんのじゃないですか?」とイヤホンを渡される。

イヤホンの2本持ちである。

でもそれをきっかけにそのカフェの店員となぜだか料理のお裾分けをする仲になった。

探していたのはイヤホンではなく、人との繋がりだったのかもしれない。

無事どちらも見つけた僕はラッキボーイと言えるのだろう。

art.51 会話している相手は誰?

最近はカフェで本を読むことが多くなった。

目の前にはカップルがいる。インスタ映えする写真を笑顔で撮っている。素敵な日常だ。

ただ数分も経たないうちに二人とも笑顔は消え、スマホ画面を凝視する。

会話とは言えない相槌が数分毎に1、2回あるが、お互い小さな世界に釘ずけである。

目の前にいる一人と会話しているのか、画面の中の無限の人と会話しているのか。

側から見たら迷うところである。大きなお世話だろうけど。

art.50 なぜ、人は自然を欲するのか?

明治神宮に行く。杜の中にいると何だか心地よい。なぜだろう?

思考は現実化する。なんて成功哲学では言われているが、都市を見るとその通りだと思う。全て人間が想像したものが建ち並んでいるから。

そう考えると人間は自然とは縁遠いところに住んでいると言うことになる。

その意味で言えば、明治神宮の杜も純粋な自然ではない。なぜならあの杜は人間が作ったものだから。

それでも癒される。

そろそろ僕らは、ストレスを生むものばかりではなく、癒しを生むものを作らなければいけないのではないだろうか。それは個人でも始められる。

あなたは何を創る?

art.49 メールに支配された現代人

今はもうメールを使わない仕事は考えられないだろう。確かにゼロではない。例えば電話だけで仕事を受けている知人がいる。ただそんな人はごく僅かだ。

だから僕らの生活に浸透したメールについて考えてみたい。

最初は便利なツールだと誰しもが思ったはずだ。でもメリットだけのものなんてこの世界には存在しない。必ず便利さの代償があるはずである。

さてその代償とは何だろうか・・・?

個別具体例をあげればキリがないし、そんなもの一つずつ考えたって嫌になって終わるだけ。だから少し抽象的に考えてみた。

時間の拘束。

送った相手の時間を暗黙の内に拘束するものだと個人的には思う。プライベートのメールならいざ知らず、仕事のメールとなると未読の方が悪者だ。何とも自分勝手な道具を現代人は手に入れてしまったのだろうかと本気で思う。

と言いつつ、メルマガを発刊している手前あまり強くも言えないし、こんなことを書いてる時点で矛盾も甚だしいと自分でも思う。だからいつでも解約してくれとメルマガ読者には伝えている。

そんな言い訳をしたから敢えて言う。

メールなんて見なくていい。急ぎの用なら電話なり会いに来るなりすればいい。と思ったり思わなかったりである。

art.48 嫌な奴ほど・・・

幸か不幸か僕らには感情がある。故に、好き嫌いがあるのはしょうがない。生理的に苦手のタイプがいることもわかる。

そんな人と一緒にいなくてはいけない環境にいるとしたら、さぞかしストレスだろう。

他人事のように聞こえたかもしれないがそんなことはない。サラリーマン時代はそんな日々だった。

ただあまりにもそんな日々が続くからあるとき思考を変えてみた。「この人は何かのヒントを僕にくれているのかもしれない」と。

すると不思議なのだが、その人の発言や行動が別視点で見れるようになった。言い方を変えれば、学びを得られるようになったのだ。

何だかメルヘンチックは話に聞こえるかもしれないが、人間というものは総じて「世界を自分の見たいように見る生き物」だということを忘れてはいけない。