art.19 せめておいしいものだけでも食べようかと思う

著者との対話

本とは不思議なものである。文字が書かれた紙の束。インクのシミと言っても間違いじゃない。でもそのシミを読み進めると極稀にだが不思議な経験をする。話したこともなければ、会ったこともない、むしろとうの昔にこの世界を去った人が僕の頭に入り込んでくるのである。

その人は語りかけてくる。あれやこれやと兎や角言う。こちらの質問は受け付けない。一方的に話す空気の読めない人である。

だけど不思議と嫌な気持ちはしない。むしろ話をもっと聴きたくなる。質問は受け付けないが、ふとした文脈で答えを言ってたりする。頼りになる。

こんな頼れる人が1000円程度で買える国に生まれた幸運に感謝しながら本を読む。おいしいものがさらにおいしくなるのである。

art.18 せめておいしいものだけでも食べようかと思う

2度読みのススメ

「なんかいい」と思える本に出会えたら、読了後すぐに読み直す。別に全部を読み返さなくてもいい。自分が気になったところだけでも読み直す。

メリットは2つ。

まずは記憶の定着率。僕らは自分の記憶力を侮ってはいけない。「いいこと学んだ」と思っていても寝て起きたら忘却の彼方である。それを防ぐには反復しかない。

もう一つは、理解の深度。僕らは自分の頭脳を侮ってはいけない。一回読んで理解したつもりの内容が、実は著者が言っていることとは真逆だったりする。自分が気になったところは丁寧に丁寧に丁寧に読んでも読みすぎということはない。

読み終わった後すぐはきつい。。。という場合は、せめておいしいものを食べた後に読んでみる。おすすめである。

art.17 せめておいしいものだけでも食べようかと思う

口数が多いとき

今日はなんだか自分でも不思議なくらい言葉が次から次へと溢れ出す。まるで舞台のど真ん中でスポットライトを浴びているかのような高揚感。周りにいる人全てが聴衆に思える。

そんな時は要注意。多分それは一人芝居である。相手の耳に入る自分の声は周りの雑音と変わらない。なぜなら相手に届けようとしていないから。

どんなに高尚でスバラシイお話でも相手に届かなくては意味がない。自己満足の言葉の連続は届く相手を持たない。

口数が多いと思った時、静寂を恐れずにすこしの間黙ってみる。ほら、想いを伝えたい相手の顔が見えるから。

art.16 せめておいしいものだけでも食べようかと思う

生きる理由

生まれたとき、自分は泣き、周りは笑っている。
死ぬときは、周りが泣き、自分は笑う。

きっと生きる理由はこんなシンプルなことなのだと思う。僕らは複雑なものを求めるから苦しくなる。もちろん「死ぬとき笑う」はとても難しいことであるのは容易に想像できる。『最高の人生の見つけ方』なんて映画があったが人は後悔し続けて死んでいく生き物だとも言えるから。

じゃあどうすればいいのか。そんなこと聞かれてもわからない。わからないけど、悩みながら笑いそして死ぬのもいいじゃないかと思う今日この頃。せめておいしいものだけでも食べようかと思う。

art.15 せめておいしいものだけでも食べようかと思う

歩きスマホ

ある賢者が若者に言った。

「そのスプーンに乗せた油を一滴もこぼしてはいけないよ。そのままこの建物を一周してここに戻って来ないさい。」

「戻ってきました。」

「さて、君はこの建物に何があったか見たかい?油をこぼさないようにするのに一生懸命で何も見ていない?そうか、それじゃあ今度は建物の中をきちんと見て回ってきなさい。」

「戻ってきました。」

「どうだった?」

「天井や壁画に飾られた全ての芸術品や、庭の木々や建物から見える美しく壮大な景色を味わうことができてとてもよかったです。」

「で、君に預けたスプーンの油はどこへやったのだ?」

「・・・すみません。外を見ることに夢中で油はどこかへ消えてしまいました。」

「君に幸福の秘密を教えてあげよう。それは、世界の素晴らしさを味わうと同時にスプーンの油も忘れないことだよ。」

街を歩けばみんな油に夢中。ほんの少し顔を上げるだけで世界の素晴らしさに気づけるのに。