art.17 せめておいしいものだけでも食べようかと思う

口数が多いとき

今日はなんだか自分でも不思議なくらい言葉が次から次へと溢れ出す。まるで舞台のど真ん中でスポットライトを浴びているかのような高揚感。周りにいる人全てが聴衆に思える。

そんな時は要注意。多分それは一人芝居である。相手の耳に入る自分の声は周りの雑音と変わらない。なぜなら相手に届けようとしていないから。

どんなに高尚でスバラシイお話でも相手に届かなくては意味がない。自己満足の言葉の連続は届く相手を持たない。

口数が多いと思った時、静寂を恐れずにすこしの間黙ってみる。ほら、想いを伝えたい相手の顔が見えるから。

art.16 せめておいしいものだけでも食べようかと思う

生きる理由

生まれたとき、自分は泣き、周りは笑っている。
死ぬときは、周りが泣き、自分は笑う。

きっと生きる理由はこんなシンプルなことなのだと思う。僕らは複雑なものを求めるから苦しくなる。もちろん「死ぬとき笑う」はとても難しいことであるのは容易に想像できる。『最高の人生の見つけ方』なんて映画があったが人は後悔し続けて死んでいく生き物だとも言えるから。

じゃあどうすればいいのか。そんなこと聞かれてもわからない。わからないけど、悩みながら笑いそして死ぬのもいいじゃないかと思う今日この頃。せめておいしいものだけでも食べようかと思う。

art.15 せめておいしいものだけでも食べようかと思う

歩きスマホ

ある賢者が若者に言った。

「そのスプーンに乗せた油を一滴もこぼしてはいけないよ。そのままこの建物を一周してここに戻って来ないさい。」

「戻ってきました。」

「さて、君はこの建物に何があったか見たかい?油をこぼさないようにするのに一生懸命で何も見ていない?そうか、それじゃあ今度は建物の中をきちんと見て回ってきなさい。」

「戻ってきました。」

「どうだった?」

「天井や壁画に飾られた全ての芸術品や、庭の木々や建物から見える美しく壮大な景色を味わうことができてとてもよかったです。」

「で、君に預けたスプーンの油はどこへやったのだ?」

「・・・すみません。外を見ることに夢中で油はどこかへ消えてしまいました。」

「君に幸福の秘密を教えてあげよう。それは、世界の素晴らしさを味わうと同時にスプーンの油も忘れないことだよ。」

街を歩けばみんな油に夢中。ほんの少し顔を上げるだけで世界の素晴らしさに気づけるのに。

art.14 せめておいしいものだけでも食べようかと思う

メールが消える

メーラーが自動更新した後、アカウントが表示されなくなった。つまりはメールが消えてしまった。受信もできない(不思議だが送信はできる)。仕事などのやり取りで使用していたメールである。非常に困った。さてどうするか。

ググってみる。過去にも同じ経験をしている人がいる。彼らのやり取りを参考に自分の現象に当てはまるかを見極め対処する。オープンソースメーラーの宿命である。こんなときいつも思う。色んな人がいるからこそこれらの便利さを享受できているのだと。

大袈裟に聞こえる人もいるかもしれないが、ソースコードなんて1行足りとも理解できない僕にとっては誰かの辿った困難が道しるべとなる。その人がいなければ僕は何をしたらいいのか皆目見当がつかないのである。

きっとその人は誰かの役に立っているなんて微塵も考えていないだろう。「何なんだよ!めんどくせえなあ!勝手にアップデートしたと思ったらバグりやがって!」と苛立っていたに違いない。でもその苛立ちが誰かの役に立っている。そう考えたら少しは前向きになれるのではないだろうか。

さてはて。こんなことを書きつつも僕は何もしていない。メールが消えてしまったという現実は現在進行中である。ああ無情。せめておいしいものだけでも食べてからどうするかは考えよう。

art.13 せめておいしいものだけでも食べようかと思う

プーチン大統領を傭兵と間違える

僕は時間の許す限り毎日ジムに行くようにしている。そのためかたまにビルダーを目指していると勘違いされるが全く目指してはいない。では、なぜ毎日トレーニングをするのか。

以前、身体は道具であるとお伝えしたことがあったかと思う。僕は道具(身体)のメンテナンスが目的でジムに通うのである。そのメンテナンスの結果、身体が大きくなることもあれば、小さくなることもある。

前回、痩せマッチョの話をしたかと思うが、昨今は身体に対する間違ったイメージが蔓延している。グッチやヴィトンやディオールが痩せすぎモデルは使用しないと発表、フランスでは極端に痩せているモデルの活動を禁止する法律が施行されたのは記憶に新しいが、それでも一度作られたイメージを覆すのは難しい。老若男女、訳も分からず痩せたがる。

先日、ロシアのプーチン大統領がマイナス5度の海氷に上半身裸で沐浴する動画を見た。何かの禊らしい。その禊に興味はないが、プーチン大統領の身体には驚いた。

60代も半ば。一昔前で言えば立派なおじいちゃんである。だが身体は決しておじいちゃんではない。顔が映っていたのでかろうじてプーチン大統領だとわかるが、顔を隠されていたらどこかの傭兵としか思えない身体である。

身体は道具であるとすれば、大統領クラスになれば傭兵並みの道具(身体)が必要ということである。いや逆かな。あれほどの道具(身体)には大統領というステージが必要なのだろう。

せめておいしいものだけでも食べようかと思う。